「合図」展 「作品が放つ合図」トークレポート

こんにちは、Up & Comingのスタッフです。
本日は4月21日(日)に行われた、第1回展「合図」のトーク「作品が放つ合図」の模様についてレポートします。

Up & Coming の最初の展覧会となる「合図」は、大石一貴さん、齋藤春佳さん、張小船Boat ZHANGさんの3名によって、世界に対してスタートの「合図」を送る展覧会です。

今回のトークは展覧会のタイトルとも繋がるテーマで、ゲストに栗原一成さん(アーティスト、多摩美術大学油画専攻教授)、通訳に倪力Ni Li(アーティスト)さんを迎え、作家3名と共に行われました。


内容は大きく分けて以下の3つです。
・今回のトークを企画したきっかけ
・栗原一成の作品紹介
・それぞれの作品から栗原は何を受け取ったのか

 

まずは齋藤さんが「今回のトークを企画したきっかけ」についてお話ししました。

齋藤さんは2024年現在、多摩美術大学の油画専攻で非常勤講師をしていて、その仕事で定期的に行っている作品の講評会が、栗原さんにトークゲストをお願いするきっかけとなりました。

油画専攻の講評会は、学生が自身の制作した作品をアトリエなどに展示し、担当する教員数名と作品の話をする形で行われることが一般的です。
齋藤さんは、その講評会の中で栗原さんと話す機会が多くあったと言います。
講評会で話をする中で、齋藤さん自身が「作品から受け取っていること」について、栗原さんと重なっていると思うこともあれば、全く違う情報を受け取っていると感じることもありました。

鑑賞者は、別々のコンテキストを持った作品からどういう「合図」を受け取るのだろうか。

齋藤さんは、人によって千差万別でありながらも同じ部分があること、そういったところに計り知れないものを感じていたと話していました。
そういった経緯から、この展覧会について栗原さんがどのような「合図」を受け取っているのかを聞きたいと思い企画されたのが今回のトークイベントだということです。

 

続く栗原さんの紹介は、近年の活動についてのお話でした。

主な内容は、個展の作品や、毎朝の制作、2022年から行なっている哲学と美術の実践の場「ART & Philosophy」での活動、そして、淺井裕介さんとのドローイングパフォーマンスのことなどです。
話の中では、作品やパフォーマンスの裏話、田中小実昌(2004)『ポロポロ』の一節を紹介する場面もあり、普段はなかなか聞くことのできない一面に触れることができたお話となりました。

 

さて、栗原さんの活動紹介からはシームレスに「合図」展作品の話へと移っていきました。
大石さん、張小船Boat ZHANGさん、齋藤さんそれぞれの作品について、栗原さんが受け取った「合図」を少しずつ紹介します。

まずは大石さんの作品についてです。
大石さんの作品の1つに《最高》というタイトルの作品があります。焼成されていない粘土の作品で、粘土には「最高」という文字が引っ掻かれています。


栗原さんはその作品を見て、「最高」であり「最高」でもない、どちらでもない自分に無化される感覚になったのだそうです。
人によってはその「最高」という言葉と作品との関係性を読み取り、「何が最高なのか」と受け取ろうとするかもしれません。そう考えると、大石さんの作品は鑑賞する側の問題でもあるのだそうです。

「合図」展での大石さんの作品はどれも焼成されていない粘土に文字が引っ掻かれています。
形として残すことを目的としていないその行為によって、「言葉が意味を持ちつつ意味が消えている」ということが起き、意味の読み取りに行かないおもしろさがあるのだと栗原さんは続けて言いました。

栗原さんの言葉に対して大石さんは、自身にとっての「描く」行為は「描く」ではなく平面的な奥行きを持った線や量であり「形を作る」ことなのだと話しました。

 

次に張小船Boat ZHANGさんの作品については、「合図」展の作家全員に共通していることかもしれないものの、矛盾性・両面性を感じるということを栗原さんは言いました。

《逃れられない赤い部屋:穴と不同意する》の作品は、「不同意」のボタンを何度も押す絵が描かれた映像が流れていて、映像の中では音と「不同意」が明滅するように見えます。

栗原さんは、もしそれが「不同意」を表明するものであるならば揺らさなくても良いので、
「不同意」が批判的な意思を示しているものではなく、その振動に「不同意」があり、いろいろなものが詰まっているような気がしたそうです。
張小船Boat ZHANGさんは感情によって駆動されるものだと話していました。

 

そして最後は齋藤さんです。齋藤さんは制作をする時に、イメージを形にするという作り方では行なっていないと言います。
「これについて作品を作ろう」という瞬間はあるものの、最初にイメージしたものは、まだ作る前の自身がイメージをしたものなので、「制作しているところを通っていない段階のもの」を信用していないようなところがあるのだと話していました。

栗原さんは齋藤さんのその言葉に対し、本当の意味では、描いている時にしか描きたい気持ちが現れないのだと言います。内側から湧き上がったものがあるときにだけ表現をするのではなく、描いているときに初めて「何か」が起きます。「描きたいときにしか描かない」のは間違ってはいないけれど、「描きたいとき」と「描きたくないとき」を分けなくても良いのではないかと続けていました。

 

トークの終盤で栗原さんは、世界が混沌としていくと、どうしても何か意味のある物語を作り、それをアートに再現しようという方向に行きがちになるけれど、そうじゃない展覧会だった気がすると締めくくりました。 

約1時間半にわたるイベントは、鑑賞者として作品から受け取った「合図」、作家が作品にこめた「合図」、作家が制作をする時の「合図」、それぞれの角度から見た「合図」に触れたトークだったのではないかと感じました。

flickrでは、今回のトークショーの様子や、そのほか過去に開催した展覧会の様子もご覧いただけます。 

2024年5月27日(月)堀田

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