こんにちは、Up & Comingのスタッフです。
本日は第5回展「色を選べるっていいな」のクロージングトーク「みずたまり、いくたまに」の模様についてレポートします。
このトークでは、出品作家のENDOEさんとダイヤさん、ゲストの石田尚志さん(画家/映像作家)と福永大介さん(画家)の 4名が登壇しました。
会場となった1階には、公園で目にするような馴染み深い茶色いベンチや大きな緑の芝生、オレンジ色のプラスチックケースが設置され、観客は靴を脱いで芝生に座り、ベンチに座る登壇者の話に耳を傾けていました。
いつもの会場とは違う雰囲気で始まった今回のトーク、司会を務めたENDOEさんは、最初にこの展覧会が開催された経緯について触れました。
「色を選べるっていいな」展の始まり
展示代表であるENDOEさんは、普段、水道の仕事をしながらダイヤさんと同じスタジオで制作をしています。ただ、仕事の忙しさもあり絵を描くことからは少し遠のいてもいました。
そんなENDOEさんにとって、ダイヤさんとリさんの絵を描く姿勢は自身のペインティングを思い出させてくれるもので、3人で展示をしたいという話をしていたところにUp & Comingでの展示企画の話をもらったそうです。
展覧会名である「色を選べるっていいな」は、ダイヤさんかリさんがふと放った言葉でした。ENDOEさんは、2人の中で、この言葉がとても重要なものなのだと感じたと同時に、自身にとっても初心に帰るような気持ちになったのだと話していました。
さて、そのような経緯で開催された展覧会ですが、このトークは、登壇者それぞれが思い出の品を持ち寄り、それにまつわる話から作品を紐解いていくという内容でした。
ここからは、それぞれのお話から一部抜粋してご紹介したいと思います。
ENDOEさん 「宇宙兄弟」
ENDOEさんの思い出の品は「宇宙兄弟」です。
ENDOEさんの実家には、かつてお母さまが読んでいた漫画がたくさんありました。その一方で、お母さまはENDOEさんが誕生してから漫画を買わなくなったため、同じ漫画を読むということがそれまでなかったそうです。
「宇宙兄弟」は、ENDOEさんが小学3年生のときにお母さまと一緒に入った本屋で買ったもので、初めて2人で共有した「面白いもの」でもありました。お母さまは、「宇宙兄弟」を読むことで仕事に対するモチベーションを高めていました。そして、ENDOEさん自身も「宇宙兄弟」から頑張る気持ちを受け取っていて、漫画の中で描写されている「心の中のキラキラを失わない」ということは、心のお守りみたいになっているのだそうです。
ENDOEさんのその話に対して石田さんは、自身も、お祖母さまやお父さまの影響でアニメや漫画が入り口となった絵の経験があるのだと話しました。親と面白いと思うものを共有できることはありがたいことで、中学生のご息女と何を共有できるかを考えるのだそうです。
ダイヤさん 「くろめ」「プラ段」
ダイヤさんは、お祖母さまにまつわる思い出の品として、「くろめ」というコンブ科の海藻と「プラ段」を紹介しました。
ダイヤさんは、「思い出の品」とは何かと考えた時に、ずっと食べているもの・飲んでいるもの・着ているものなど、「その物」が自身にとってどういった位置づけになるのか、ということを考えました。
ずっと食べているものとして紹介した「くろめ」は、粘り気があってメカブに近いものです。お祖母さまがよく食卓に出してくれて、味噌汁に入れていたのだそうです。
そして、もうひとつの「プラ段」は、人に会うのが好きではなかった幼稚園の頃のダイヤさんのために、お祖母さまが作った仕切りのようなものです。今回持ち込まれたのはイベントのためにダイヤさんが作ったもので、100均のプラスチック段ボールをジャバラ状に貼り合わせて作られています。
幼い頃のダイヤさんは、その「プラ段」を使って部屋を作るようなイメージで自分を囲っていました。
そしてそれは、今のダイヤさんの制作にも繋がっていて、個室の安心感があるというところから、ダイヤさんの絵には、家や部屋、トイレなどが描かれているものがあります。
石田さんは、ダイヤさんの絵には人が大きく現れると同時に小さなエリアのイメージもあり、部屋の中の部屋、つまり、「絵が現れるためのもうひとつの小さなエリア」が現れていていること、それは同時に人を描くためでもあり、セットでそれがあるのだということを話していました。
ダイヤさんの「部屋を作る」イメージは、作品だけでなく、制作場所として使用しているスタジオにも現れています。家の中に家を作るイメージで、スタジオの角には大きな壁があり、通常の入口だと掻き分けて出入りする構造になっています。一方で、外とつながる窓には脚立があり、窓からの出入りも可能です。福永さんは、ダイヤさんが以前使用していたスタジオも空間が区分けされて遮られていたので、そういった意識が強いのだなと感じたと話していました。
福永大介さん 「松の葉っぱ」
福永さんの思い出の品は「松の葉っぱ」です。
これは、2014年に亡くなった画家、辰野登恵子さんのお墓参りに行った際にお寺の住職さんから頂いたものでした。
辰野さんは、福永さんがとてもお世話になった方でした。学生時代には、教授だった辰野さんによく作品を見てもらい、卒業後にお互いのアトリエを訪問しあったこともあったそうです。
辰野さんが亡くなった際にはお葬式に参列しましたが、福永さんの中で心残りになっていたこともありました。それは、2012年に国立新美術館で開催された、辰野さんが出品する展覧会のオープニングに行けなかったことです。当時、福永さんはそのオープニングに辰野さんから招待を受けていました。卒業して数年経ち、作家活動を続ける難しさを感じていた福永さんはそこに行くことができず、会えないままになってしまったのだそうです。
お墓参りに行ったのは2015、6年のことで、そこは高円寺にあるお寺でした。
友人と高円寺の街を歩いたりお昼を食べたり一杯呑んだりしながら向かって着いたお寺には、独特の抜けた空間や澄んだ空気がありました。
そのお寺には松が植えられていて、「御利益がある」というようなお話と共に住職さんから松の葉っぱを頂き、「取っておかないと」という気持ちを持ったそうです。
そのような出来事から10年くらい経った今も、ずっと手元にあるのだと話していました。
石田尚志さん 「筆」
石田さんの思い出の品は横浜美術館の公開制作で使用した「筆」です。
石田さんの映像作品は、壁などに描く→撮影するという工程を繰り返す、コマ撮りの手法で作られています。
筆を洗うのが面倒で大体ダメになってしまうそうで、持ってきていた筆も、根本から白い絵の具で固まっていて、とても使い込まれた状態になっていました。
石田さんにとって作品=「映像で見るもの」で、描いた壁や絵はそれそのものでしかなく、むしろその時に使った道具のような、自分にとってのみ大切なものに思い入れがあるのだと話しました。
「思い出の品」というものについて考えた時に、ENDOEさんの「漫画」やダイヤさんの「くろめ」「プラ段」のように、その時の物でなくても良いもの、つまり、その物の内容の方に思い出があるものもあれば、福永さんの「松の葉っぱ」や石田さんの「筆」のように「その時の物」でなくてはならないものもあります。「その時の物」でなくてはならない物というのは、他の人から見ると何でもない物でも、そこには自分にとって壮大な問題が含まれていまて、「物」というのはそういうことが多いのだと石田先生が話していたことがとても印象的でした。
トーク後には、観客の皆さんも交えて様々な水の飲み比べを行い交流を深め、和やかな雰囲気で終了しました。
flickrでは、今回のトークイベントの様子や、そのほか過去に開催した展覧会の様子もご覧いただけます。
2024年11月21日(木)堀田