「リップル」展 トークレポート

こんにちは、Up & Coming スタッフです。
本日は7月20日(土)に行われた、第3回展「リップル」のギャラリートークについてレポートします。

Up & Coming の第3回展である「リップル」は、作為と無作為についてそれぞれのメディウムから模索し制作してきた、苅部太郎さん、中田拓法さん、MANA HIRAIさん、森綾乃さんの4名からなる展覧会です。

本トークでは、ゲストに山峰潤也さん(キュレーター/プロデューサー/株式会社NYAW代表取締役/東京藝術大学客員教授)を迎え、作家4名がそれぞれ山峰さんと対話する形式で進行しました。

 

最初に導入として中田さんより山峰さんの紹介があり、山峰さんの自己紹介から始まりました。

 

山峰潤也さん

山峰さんの当初のテーマは、メディアの変化によって生まれる新しい言語や社会的状況であり、ニューメディアやメディアアートといった領域でキャリアをスタートさせたそうです。一方、2010年代以降、インターネットを取り巻く状況が大きく変化し、現代美術でもテクノロジーの問題を扱うアーティストが増えたことで、メディアアートのみならずより多くの領域で活動するようになったとのことでした。

 

中田拓法さん

《デイジー》(写真:苅部太郎)

山峰さんの自己紹介の後、中田さんと山峰さんの対話が行われ、まず中田さんより今回出展された作品の説明がありました。2階で展示していた《カーネーション》では、様々なアングルから花の写真を撮り、3Dオブジェクトを生成するというフォトグラメトリと呼ばれる手法を用いながら、意図的に対象を変化させることでエラーを起こし、一部欠損したようなデータを作り出しているそうです。また、今回の「リップル」というテーマに応じて制作した作品《デイジー》では、Processingというプログラミング言語を用いているとのことでした。

山峰さんは、デジタル技術を用いることで、視覚的に見えることと同時にその裏側にある数学的構造を使うことが、マテリアルの面白さと描くことの可能性を開くと指摘されました。それに対し、中田さんは元々デジタル技術に対する距離感があったが、絵画を描くことに行き詰まりを感じていたところに、制作にプログラミングを介することで感覚が変化し、良い方向に作用していると語りました。

 

苅部太郎さん

《Holos’ s Eye》(写真:苅部太郎)

次に苅部さんとの対話が始まり、苅部さんは、自身の制作のポイントとして「写真はテクノロジーであること」、「テクノロジーが知性にリンクしている/影響を与えていること」の二つを挙げられました。具体的な手法として、テレビ画面にノイズ、グリッジをかけたものをAIの風景写真の認識システムにむりやり認識させて誤読させているそうです。また、これらを毎日一枚ずつ継続して行い、記録し続けているとのことでした。

山峰さんは、AIのシステムがブラックボックス化しそのなかに強烈なバイアスがあること、そして過去のバージョンを今用いることが非常に難しいことに触れ、苅部さんの日々行っている制作が、そうしたブラックボックス化されているアルゴリズムの変化を告発することができる、と指摘しました。

苅部さんはそういった政治的な部分を作品としてアウトプットすることが今後の課題だとし、山峰さんはビジュアルアート、ファインアートがナラティブを伝えることに対し、メディアアート/メディア論の役割の一つが構造的に伝えることであるとした上で、このナラティブと構造をいかに組み合わせるかが重要である、と語られました。

 

MANA HIRAIさん

《I’m an android. #052》(写真:苅部太郎)

HIRAIさんは、ポジティブなエラーを用いて、複製技術である写真の「オリジナル性」をテーマとしている、と語られました。主な制作手段としている暗室作業の難しさと面白さから、複製技術でありつつもそこに生じるオリジナル性について探求しており、写真を撮ること自体よりも、その後のプロセスに重きを置いていると述べられました。

山峰さんは、写真作家が印刷された写真のプリントの数をエディションとして制約すること、また好事家の間では、同じ写真でもエディションの番号によって良し悪しがあることに触れながら、写真のイメージと素材の物質的な部分は実は不可分であり、グラデーションのようなものであると述べられました。また、それらを踏まえ、アナログからデジタルへの変換がメディウム性を変化させること、その中で写真という枠組みが大きく変化していることについて、話されました。

 

森綾乃さん

《エテれ、はハ、な、ト》(写真:苅部太郎)

森さんは、今回唯一の絵画作品を出展しており、手作業によるアナログな絵画制作についての話が展開されました。キャンバスが大きくなればなるほど体力が必要で、より身体的な行為になり、その中で自分が何かをやっているという痕跡を残したいと述べられていました。

それに対し山峰さんは、絵画を描く、という行為について、絵画を描く人の中にある記憶やイメージが身体性を伴って表象されるという側面が、パフォーマンスと重なるとも言えると指摘されました。その上で、絵画を見る人はイメージだけを見ているだけではなく、その先の執着や執念や情念といったものを見ており、画像処理的に作られたイメージクリエーションだけではない、身体の痕跡が絵画には欲しい、と述べられていました。

最後に、森さんは写真に映らない作品や見た人だけが感じる強みのある作品を作りたいと述べ、イメージ以上に行為も含めた絵画の物体的な側面について語られました。

 

 

約1時間半にわたる本イベントは、写真、デジタル技術を取り入れた作品制作から絵画制作まで、幅広いテーマで話しながらもそれぞれの作家性が強く出たトークだったように思います。

トークの中で「イメージクリエイション」という言葉がでてきましたが、イメージを作ること、それを支える/表現する手法・媒体としてのメディアを考えることの二つが今回のトークでは重要なポイントだったように思います。山峰さんが指摘するように、それらは別々のものでありつつしかし完全に分離できるようなものでもなく、グラデーションのようになっており、そのイメージとメディアを意識的に往復し続けることによって新しい表現が生まれるのかも知れません。

Flickrでは、今回のトークショーの様子や、そのほか過去に開催した展覧会の様子もご覧いただけます。 

 

2024年9月4日(水)永田

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