「生活と美術」展トークイベントレポート(ゲスト:内藤理子)

こんにちは、Up & Comingスタッフです。
本日は7月21日(月・祝)に行われた、第11回展「生活と美術」のトークイベント「並走する生活と美術」についてレポートします。

今回のトークではゲストに内藤理子さんを迎え、出品作家の大渕花波さん、さいとうりなさん、薬師うみさんの計4名が登壇しました。内藤さんはアートギャラリーで4年ほど働いた後、展覧会企画会社で働きながらフリーのキュレーターとしても活動されており、現在は年に2~3回のペースで展示のキュレーションを行なっているそうです。

展示について

登壇者それぞれの簡単な自己紹介の後、司会を務めた薬師さんから「生活と美術」展がどのようにして生まれたのか説明がありました。
出品作家らが日常的に感じていた「表現活動だけで生きていくことの難しさ」を背景に、「生活と美術の距離感」に焦点を当てて企画されたのが今回の展示です。日本では美術作品を鑑賞・購入することがかなり特別な行為になってしまっていると危惧しながらも、作家の手元を離れた作品たちがどのように実生活に取り込まれていくのか、そういった想像を巡らせていくことで展示空間が出来上がっていったそうです。

会場風景|1F

具体的には会場1Fを全ての作品が売れた(作家にとって理想的な展示・販売が行われた)「非日常的空間」として構成し、2Fはそれらの作品の購入者の部屋を空想しながら「日常的空間」として構成したそうです。

会場風景|2F

続いてそれぞれの作家から自身の作品についての解説がありました。

大渕花波さんについて

大渕さんは「絵画の拡張」をコンセプトにしつつ、現在は「額縁と絵画の関係性」を主体に作品を制作されています。

《おばけのヴィーナス》大渕花波

今回出品した作品《おばけのヴィーナス》は、ベッドに横たえられた絵と額縁を中心に展開されたインスタレーション作品です。本来外側にあるはずの額縁を中央に配置し、綿布に描かれた額縁の絵がそれを囲います。
大渕さんは去年の夏頃に、制作中の作品が大きすぎたために乾かす場所を確保できず、自分の身体の上にその作品をかけて寝るしかないという局面を迎えたそうです。「生活と美術」という展示タイトルが決まった際に強く思い出されたこの体験から、普段ギャラリーなどでは見られないような、作家しか目にすることの出来ない状態を作品として扱いながら再現したと話しました。

さいとうりなさんについて

さいとうさんは「装いと身体」、具体的には装飾や工芸・人の身体やボリュームをテーマに、現在は「レリーフ」をキーワードとして、壁に付いていながらもボリュームのある半立体作品を制作されています。

《Dissolve》(部分)さいとうりな
さいとうりな 展示風景

ギャラリーでの展示というと無機質で均質な空間が一般的で、作家もその空間を想定して作品を作ることが多いのではないかと考えるさいとうさんは、そこから生じた「家に作品を置いた場合、その作品は作品として見えなくなるのか?」という疑問から、空間が内包する権威性のようなものが気になったそうです。
家という場所を再現しつつ、その空間や配置される家具に即した形で作品を作った場合にはどう見えてくるのか、そんな思いを抱きながら今回の制作に臨んだと話しました。

中屋胡桃さんについて

体調不良のため欠席されたご本人に代わって、薬師さんが簡潔に解説されました。

中屋胡桃 展示風景
《専用キャンバス – 葉ショウガ》中屋胡桃

中屋さんの絵画作品は、描かれるモチーフの形に従って支持体を変形させることが大きな特徴です。
今回の展示作品の中から、2F中央に位置する食卓の上に展開された食パンをモチーフとする作品群と、窓際に置かれた葉ショウガをモチーフとする作品が紹介されました。

薬師うみさんについて

薬師さんは生活の中で得た感覚や発想を絵画で視覚化し、それを自身のための記録としつつ、鑑賞者との感覚の共有も目指して作品を描いているそうです。

《憩いのしそ》薬師うみ
展示風景 薬師うみ

植物園を訪れた影響でしそを育て始め、購入した鉢植えがだんだん遊具に見えてきたというエピソードを交えながら、薬師さんは《憩いのしそ》について「さまざまな思い出や、そこから派生した発想などが複合的に絡み合った絵」なのだと紹介しました。
また、美術作品というものが人々の生活にもっと気軽に溶け込んでほしいという思いから、自身の絵画に登場する人物を総勢13体の小さな人形(タイトル無し)として、架空の生活空間であるこの会場に点在させてみたと話しました。

続いてゲストの内藤さんから作家陣へいくつかの質問が投げかけられました。

Q.「生活と美術」という言葉を聞いた時に、どのような二語の構図を想像するか?

会場1Fに展示されたフライヤー

大渕さんは「生活(+ 美術)」と答えました。高校~大学院に通っていた期間は「生活 + 美術」だったはずが、今は週5日で働いているため制作している間のほうが特異な時間になっており、括弧付きになってしまうと話しました。

さいとうさんは「生活」という大きな括りの中に「美術」が包含されているイメージだと答えました。生活が成り立っていないと健全に美術活動が行えないので、どうしても生活の方が上位存在になってしまうそうです。

普段から生活が美術になっているタイプだと語った薬師さんは、自身の傾向として作家一本で生きていく(アウトプットし続ける)ことは向いていないと分かっていたため、最初から仕事をしながら美術をやりたいと思っていたそうです。

これを受けて内藤さんは、作家一本で生きていくことが美徳とされがちなのかもしれないが、薬師さんの姿勢は二軸で生きている人の励みになるのではないかと応えました。


Q. 自分の手元を離れた作品が、どのように扱われていると嬉しいか? / 想像することはあるか?

会場風景|2F

ギャラリーで働いていたことのある内藤さんは、(作品が売れた時に)どんな人が購入したかについては作家に必ず伝わるわけではなかったという経験から、作家の立場から見た時に売却後の作品に対してどういった思いを馳せるのか、以前から気になっていたそうです。

大渕さんとさいとうさんは、あまりこだわりがないと答えました。特に大渕さんは、自身の作品がその人の生活に溶け込むようであれば、カーテンやブランケットとして使われてもいいと思っているそうです。

薬師さんは自身の作品が平面なので、壁の空いているスペースに飾られることを想定しながらも、厚みのある作品は立てかけて置いている方が実際にいらっしゃるそうで、その人が楽しめる形であればどちらでも構わないとのことでした。また、自身の作品に限らず最近考えていることとして、作品の死蔵であったり、保管状況による状態の劣化について取り上げ、作家の死後も作品は可能な限り残り続けてほしいという思いを語りました。
このトピックに応じてさいとうさんからは、個人所有で作品を綺麗に残すのは難しいことかもしれないが、美術館等に収蔵される場合は適した環境で管理される反面、人目に触れない時間が長くなる可能性があるため、作家という立場から見ても一概にどちらが良いのか決めきれないという話がありました。


4人とアトリエ

今回の展示に参加した4名の作家は現在、さいとうさんが住居として使用している一軒家をアトリエとして共有しています。美大生に付きまとう事情として、卒業後の制作スペースをどう確保するのかという問題があるそうです。大渕さんは大学院を修了するタイミングでこの問題に直面したことを振り返りつつ、学部時代の同級生3名に声をかけ、現在の形に落ち着くまでの経緯を話しました。

ここで内藤さんから、それぞれの作家とアトリエの関係性についてお話を聞きたいとの要望がありました。
そこに住まわれているさいとうさんは、本業がリモートワークのため自宅兼アトリエに居る時間が極端に長く、生活と美術の境目が曖昧になってしまう感覚があるそうです。
アトリエを使いたい時に訪れて制作を行うという大渕さんと薬師さんは、自宅と制作スペースが物理的に切り離されているため、かえって脳のスイッチを切り替えやすいと話しました。

会場外観


「生活と美術」展、そしてトークイベント「並走する生活と美術」を通じて、作家4名それぞれの「生活と美術」の関係性を垣間見るのと同時に、(作家活動を行っているかに関わらず)観た人それぞれの「生活と美術」について、考えを深める良い機会になったのではないでしょうか。

Up & Comingのflickrでは、今回のトークの様子や、今までに開催した展覧会の様子もご覧いただけます。 
また、YouTubeチャンネルでは過去の展覧会の動画を公開しています。「生活と美術」展の紹介動画もアップロード予定です。

2025年9月12日(金)長嶋


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